2019歩の万歩計

ち…ちかれた。
けっこう歩いたと思ったが。
少し布団にゴロンした。




父を連れて、姉と私が付き添いで大学病院へ行ってきた。
80代。認知症の父は、胃がんだ。
胃がんのオペは、年齢的にもうできないという判断で落ち着いていた。
さらに認知症の検査が必要だったので、検査をしたところ、
レビー小体認知症という診断以外に
頭部に大きな腫瘍が見つかった。
急を要するというのでまた翌日に
昨日の病院から紹介状をもらい、慌てて大学病院の外来に来たのだった。

でも父は検査も、治療も拒んだ。せっかく外来来たのにね。
何時間も待たされて、もうしんどくて
もう、他人に触られるのも嫌なんだね。
入退院も数多くてもう本当に嫌なんだ。そう感じた。
腫瘍が目と鼻の神経を圧迫し、脳にじりじりと進んでいる。
珍しい腫瘍だそうで、いずれ失明もする。
今は咀嚼する神経などを圧迫し始めているという。
大学病院側としては
高齢者だけどオペをしてみたいんだと思う。

診察の椅子に座らされ、若くて経験の浅い医師がファイバーを鼻にいれる。
もういいです。
帰ります帰ります。帰りたい。と自分の口で発言し医師の手をはらった。

もっと熟練した医師だったら、検査を受けたろうか。
僕はまだ経験が浅くて。と自分で言う医師にどうして当たってしまったか。
でも、もうそれでよかったんだと思う。
病院も責めない。父は、病気の進行に合わせて自然に逝くことをそこで選んだんだ。

その場で電話で母に確認した。
母は、もうかわいそうなので連れて帰ってきてかまわない。と
私たち姉妹に言った。
そのまま車椅子に乗せた。
ほとんど歩けないので2人がかりで車にようやく乗せる。
帰るしかなかった。
帰り道、私は先に送ってもらい、姉は父を乗せて自宅に戻った。
自宅について、姉に
「もう病院、終わりね、終わりにしようね」と言われると父は
うん。と答えたそうだ。


父の看取りが開始されることになった。
この段階から看取りと言っていいのかわからないけど
今日からは父の生活の向きが変わる。
病気を治して元気に生きよう。ということから
病気と共に、穏やかに死に向かって生きよう。という方向へ。
家族会議で、延命のための治療は、もうしないことになった。
せん妄など、家族も本人も苦しめるものへの投薬は続けながら
新たな検査や治療はしないことに。


だんだん食べなくなってきているしTVも見たがらない。
目が見えにくい。傾眠が多い。せん妄もひどくて生きているのがしんどくて
たまらないんだと思う。もうあまり量は食べられない。でも胃ろうもしない。
ただただ、自然に。
そうして行こう。夜に、母と姉とビデオ通話で話し合った。


急変することがある。


主治医が言ったので、早速、私は夏用の喪服を注文した。
父親が死ぬなんて想像したことがないし、
恥ずかしい話、夏場に葬儀もお通夜にも参列した経験もなく
私はそういうものを持っていなかった。
急変したら、もうきっと父は持たないのはわかっているので
準備だけはしておかないと。


大学病院。
父の車椅子を押して、たくさん歩いたと思ってた笑
あっちへ検査こっちへ移動。採血だのいろいろ歩いたので
五千歩は行っただろ。と思ったが
なんじゃこりゃ。



父を連れて、外来に行くのはもう最後。
2019歩。あと一歩で2020じゃないかよ。
も少し歩けば、2021、2022、2023、
あと2年3年と父がもっと生きられるかもしれないと、ハッとした。
けど、それはやめた。
人間は、自然に自然に、死ぬようになっているので
私が勝手に延命してはいけないと
この日の万歩計をリセットしたのでした。


帰り際、チョコウエハースのお菓子を、父に持たせた。
ゆうこに貰ったウエハース、食べたよ。と姉からLINEが来た。
それでいいね。
胃がんのオペもしちゃったらもう食べられないもんね。
頭を開けて腫瘍をとっても、もう目が覚めなくて
大好きなお菓子も食べられないかもしれないもんね。

それでいいよね。









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